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第86回日本ダービー馬の母馬は、ジェイエスの海外代理購買馬です

日本国内だけでなく、海外でも出身馬が活躍しているセレクトセールが今年も
7月8日、9日にノーザンホースパークで開催されます。

今年のダービー馬ロジャーバローズは2016年のこのセレクトセール出身馬でした。
ロジャーバローズの母、リトルブックは生産者の飛野牧場様より依頼を受け、弊社が代理購買させていただいた1頭です。

購買当時から、ダービー優勝までの軌跡をジェイエス目線で書き上げた手記を寄稿いただきましたので
貴重な写真とともに、是非ご一読ください。

 

 

すべては見えない糸でつながっていた

2019年第86回日本ダービー 優勝ロジャーバローズ 生産者 飛野正昭

ダービー3

 

「よくやってくれた」馬産地日高が沸いた令和初の日本ダービーをレースレコードで勝った静内の飛野牧場の快挙。その興奮は未だ冷めやらない。

G1を社台グループが席巻していたさなかも、レース終わった陣営からは「どうせ獲られるなら飛野さんで良かった」と言わしめるその背景から紐解く。

 

 

飛野牧場の社長、飛野正昭が30代の頃、当時から社台の血統に興味があり、社台グループ創始者吉田善哉氏の門を叩いてから運転手をするほど二人の交流は深まった。

海外のセリにはよく同行させてもらい、ノーザンテーストの現役時代や、善哉氏所有の馬ラサールがイギリスのゴールドカップを優勝した時も現地で観戦していた。

当時はまだ日本人が海外の牧場で馬を見せてもらえる立場ではなかったのを、善哉氏が多く馬を購買するようになってから風潮が変わった。

セクレタリアト、ニジンスキーなど名馬を見ることができたのも善哉氏の功績のおかげだった。

 

時代は流れ、2012年、英タタソールズに上場するリトルブックのカタログが何故だか飛野社長の元に届く。(どうして届いたのか未だに不思議らしい)

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牝馬3冠馬ジェンティルドンナの3/4。ディープインパクトをつけるよりない。

ジェイエスに代理購買を依頼し、23万ギニー(約3380万円)で落札した。

現地で落札したジェイエス職員、大西恵介はその時の様子をこう振り返る。

 

リトルブック

 

「飛野社長が馬を選ぶ時にはテーマがあって、選ぶポイントは分かっていたので、現地では実馬を見た感想をそのままお伝えしました。変な癖のない、繁殖らしい馬。おすすめの馬だなと思いました。」

 

 

―社長が馬を選ぶポイントは分かっていた―

大西がそう言うのには訳があった。

 

 

2000年にジェイエスに入社した大西恵介は、特段語学が堪能だったわけではない。

入社してすぐに、即戦力になるべく研修としてアメリカへ渡り短期語学留学で鍛えられた彼は、ジェイエスの海外代理購買担当者として数々のサラブレッドの海外のセールにお客様と同行するようになった。

そこでよく一緒に同行していた飛野社長から、海外のセリの場で馬の見方を教えてもらったという。

だから今、自信をもって飛野社長の眼の代わりとなっておすすめできるのだ。

 

 

ジェイエスの海外代理購買請負は『―牧場から、牧場まで―』がモットー。

 

「購買に不可欠な諸手続きや実馬視察、獣医検査、海外の牧場からの輸送、検疫、日本の牧場に到着するのを見届けるまでが仕事。渡航の場合は航空券の手配やホテルの予約まで一貫してアシストするので、お客様には安心して馬を選ぶことだけに集中していただきたい。」

 

19年前、お客様から馬を教わっていた青年は、今ではジェイエスの欠かせない存在になっている。

リトルブックを競り落とした日も、きっと喜んでもらえる・・・そういう気持ちで時差のある日本の夜が明けたのを待って飛野社長に報告をした。

飛野社長はというと、無事落札、の吉報を聞いた時真っ先に思ったこととは

「さて、お金をどう工面しようか」だったという。

 

全身の柔らかさは一生に一度しか会えない馬。

とディープインパクトに惚れた飛野社長が4000万にものぼる種付け料をもってしても毎年つけ続け夢を賭けた。

 

しかし購買時にお腹にいた仔を産んで以降、不幸が続き、ロジャーバローズは競走馬までになった久々の子である。

 

飛野社長によるとリトルブックは大変母性愛が強く、子を喪った時や離乳した時など真剣に悲しむ馬なのだそう。とても賢く、理想的な母馬なのだそうだ。

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第4子

ロジャーバローズは2016年のセレクトセールにて7800万円で猪熊広次氏が落札し、角居勝彦厩舎からデビュー。京都新聞杯で初めてロジャーバローズの手綱を取った浜中俊騎手でダービーに挑んだが、この浜中俊騎手と飛野牧場との縁はその前にあった。

 

浜中騎手は飛野社長の自己所有馬シャイナムスメ(JRA4勝)で騎手人生初めての特別レースを勝っていたのだ。

 

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当時の浜中騎手の師匠、坂口正大元調教師は飛野牧場の買ってきた馬のおなかの子をほとんど買ってくれていた縁がある。

 

坂口元調教師はダービー当日、関西テレビの競馬番組に出演し、レースを観戦していたのだが愛弟子の勝利の後は感極まり言葉が出なかったそうだ。

レースの夜、飛野社長が北海道への飛行機に乗る直前に、祝福の電話があり二人勝利を喜んだ。

 

直後に乗った帰りの飛行機の中で飛野社長は思いがけないプレゼントをもらう。

ANAのCAから手渡されたダービー優勝祝いのカードに、興奮した心が和んだ。

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ダービーには大西も代理購買で関わったリトルブックの産駒の雄姿を見届けるべく、各手配も兼ね出発から飛野社長に同行していた。

 

ダービー2

ダービー5

府中競馬場へ向かうタクシーの中で「もし掲示板に載ったら大変なことだぞ」とお互いにかるく話をしていたものだが、

いざロジャーバローズが直線を向いて最後の坂を登り切ったところでまだ勝負をしているのを見た時、「勝てるかも!」と思ったそこからは、ひたすら机を叩くばかりで、もう何が何だかわからないくらい覚えていないのだそう。

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深夜牧場に到着すると足の踏み場がないくらいに埋め尽くされた200もあるかというお祝いの花の数々と仲間たちから祝福を受け、勝利の喜びを分かち合い長い一日が終わった。

(この日、日高中の花屋から胡蝶蘭が消え、苫小牧から取り寄せられるほどのパニックだったという)

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7071頭の頂点を制した今も、飛野社長は言う。

 

早くから海外の繁殖を導入し、放牧地を広げ、男手一つで牧場を築いてきたがここまでこれたのはみんなのおかげ。これまで関係したどの一人が欠けても成しえなかった。

お祝いに来てくれるみんなが涙を浮かべ祝福してくれることにその証を感じる。

そう語る飛野社長の眼はまた、潤みだしたように見えた。

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飛野社長は公には言わないので、実はこれまで地域に多大な貢献をしていることを知っている人は少ないので紹介しよう。

 

1909年、静内の旧御料牧場に建てられた「龍雲閣」は多くの皇族や政府高官が宿泊した歴史的建造物であるが、昨年の夏の強風で屋根が破損したままになっていた。

春には二十間道路桜並木が日高観光の目玉になり、龍雲閣も沢山の人が多く立ち寄るが

多額の修復費がかかる。町は公募にて修繕費を募ったがこの修復費に飛野社長も大きく貢献し、観光シーズンの公開に間に合っている。

 

ダービー優勝後にも、社会福祉に役立ててほしいと新ひだか町に寄付をした、その理由は

「子供の頃、消しゴム一つ買えなかった」から  だそうだ。

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ダービーの勝利に何か神がかったものを感じる。そう語る飛野社長。

特に大きなレースの前にはこの龍雲閣と地元氏神の静内神社にお参りする信心深い一面も。

 

 

 

人との縁、1枠をひけた運、クビ差の勝利・・・

飛野社長のこれまでの努力の賜物より他にないが、こういった地道な地域への貢献、仲間への感謝、祈り。これらのつながりが今回の勝利を導く追い風になったのかもしれない。

 

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次なる夢は・・・

凱旋門賞。

 

ひざを痛めてから縁遠かった飛行機に10年ぶりに乗ったのは今年のノーワン(フィリーズレビュー優勝)の桜花賞の時。善哉氏のお墓参りにも行きたくても行けていない。その上フランスまでの長時間はさすがにもたない…というが

 

夢の続きをどうにか現地で味わってもらいたいと思うのは、私だけではないと思う。

 

 

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写真:大西恵介(ジェイエス職員)

文と写真:足立玲子(株式会社ノードネットワークス)

 

※本文章の著作権は、株式会社ノードネットワークスに帰属します